うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

「寂しい」という感情

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ご機嫌いかがですか。

メイもんです。

 

もしかして▪▪なのだけど

わたしは「寂しい」という感情を

自覚することが多い。

 

家族がいないと 寂しい

仕事がないと 寂しい

ボランティア活動がないと 寂しい

趣味の活動がないと 寂しい

実家にネコいないと 寂しい

気の合う友達と 会えないと 寂しい

読みかけの本がないと 寂しい

ぬいぐるみがないと 寂しい

スヌーピーグッズがないと 寂しい

 

そして 今では

はてなブログがないと 寂しい

 

わたしの「寂しい」の起源について

最近 ある仮説が浮かび上がった。

 

それは 1歳3ヶ月で経験した、

家族の減少だ。

 

赤ちゃんのとき

祖父母、叔父、叔母、両親、姉に

囲まれて 賑やかに暮らしていたそうだ。

 

そして、1歳3ヶ月で引っ越して

核家族になった。

 

毎日遊んでくれていた、おじいちゃんと

急に遊べなくなった。

おばあちゃん、おばさん、おじさんとも

会えなくなった。

 

その言葉の概念は 持たなくとも

きっと 寂しいという感情を 抱いたであろう。

 

 

わたしが3歳半のときに 妹ができ

家族全員の5人が 居間で過ごしていたある日

わたしは 唐突に

「うちって家族、これだけ? !」

と言葉を発した。

はっきりは 覚えていないけれど

5年生くらいのときだった気がする。

 

そのときに感じていた

欠落感のようなものは 確かにあって

ずーっと 忘れることはなかった。

なんだかよくわからない、

不思議な感覚だった。

 

それから何十年も経て

「そういうことっだたのか…。」

と 点と点が線で

つながったような氣がした。

 

フェイスブック等で 

胎内記憶の研究が紹介され

それが なるほどと

うなずける内容っだったのだ。

 

 

母の胎内から合計して2年間

わたしは 賑やかな家庭環境で

育ったんだ。

 

それを 覚えていなくても

記憶していた▪▪▪。

 

そして 転居で家族が4人も

減ったとき

1歳児の 柔らかな脳やからだは

「寂しい」気持ちを

すーっと しみこませてしまった。

 

そんな仮説…。

 

「寂しい」を知ったのは

「賑やかで幸せ」なときを

過ごした記憶が あったから。

 

わたしの奥には 

いろいろな人たちと ふれあったときの

温かくて 幸せな経験が

しっかりと 刻まれていて

だから それを求めている。

 

 

H ave a nice day !

どうぞ すてきな一日を