うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

そこに 愛があるのかどうか・・

ご機嫌いかがですか

メイもんです

 

「情報じゃないですよ、

   メッセージですよ」

 

そう訴える人の姿が 心に残り

“情報” と  “メッセージ”の

違いについて 考えてみました

 

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情報というのは 

脳や コンピュータで

処理する「もの」として扱う

 

メッセージは 

処理する「もの」ではない

伝え手から 受け手に向けた

心のこもった想い・”愛“が含まれている

( 人の心を動かすエネルギーの一種なのかもしれない )

 

だから 受け取ったメッセージは

大切な「こと」として  アタマでなく 心に届く

 

アタマで処理する「もの」と

心で 受けとめる「こと」

 

そこに 愛があるのかどうか

それが 情報とメッセージの違いなのだと思う

 

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例えば  

私たちが建物を利用するとき

その内部のどこに目的の場所があるのか

表示や 案内から必要な情報をアタマで読み取り

目的に沿った合理的な行動する

 

しかしながら

そのような情報処理をこえて

何らかのメッセージを受け取ることもある

 

その建物を設計した人から、

あるいは「もの」であるそれを 手入れし

その機能を良くするために働く人々から、

“思いやり“や ”まごころ“のような

温もりを受け取る「こと」がある

 

無機質な建材で造られているとしても

ホッと安らぎを与えてくれるような、

植物の配置や 建築デザイン、

あるいは内部ではたらく人の優しさに触れ

心が 温かくなることがある

 

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情報は 必要に応じて獲得し

現代の常識に基づいて 適切に処理するものだ

ただ、合理的、機械的に扱う「もの 」

 

現代社会には多くのの情報が、ある

技術の進歩で より広く整備されつつある

 

けれども わたしたちは

情報量が多くとも  心が豊かになることはない

 

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わたしたちは 今

“情報疲れ”を 覚えているような氣もする

 

紫外線を浴びすぎたときのような

だるさ、疲労感に似たものが からだに表れ

溢れる情報から いっとき距離を置くために

瞑想や  マインドフルネスが 注目されているのかもしれない

 

情報過多では 身がもたない

心身のバランスが崩れてしまう

心が求めているのは  メッセージなのだ・・

 

誰かから

愛のあるメッセージ(言葉や親切な行為)を

受け取ることができたとき

真に求めている暮らしや 生き方を見いだし

 明るさと元気を得て 希望の道を歩み始める。。

 

そんな若者たちの姿を

あの場所で わたしは目撃したのだと思う

( とある健康食品・サプリに関わる集まりの場だったのでした)

 

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以上、昨日の自分から自分への宿題を

やってみたのでした^ ^

 

 

Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を

 

《 追伸  ;    からだという組織も内臓間で

    “メッセージ物質”をやりとりしている。。

    NHKスペシャル番組『人体』で

   そのような表現をしていたのを 思い出しました

 

   また  個人的にも

   病気や不調があったとき

   それを

   自分のからだからの 大切なメッセージとして

   真摯に受けとめ からだと対話し自分を変えると 

   自然治癒力が高まることを

   感じています。。》

 

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