うたと からだと わたし

キャリアチェンジして6年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

“ インナーチャイルドの癒し ” かも。。

ご機嫌いかがですか

メイもんです

 

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水仙花言葉・・「 自己愛 」 「 神秘 」

ブログで日記を書くようになって

しばらくしたときに

氣がついたことがありました

 

幼少時のわたしが

「 愛情に飢えていた」と思う理由

 

世間一般としてみれば  何不自由なく

苦労のない子ども時代ではあったけれど

主観的には 「 愛情に対する欲求不満」を抱えて

心理的に大変だったと感じているわけ。。

 

わたしは  一歳三ヶ月ときの

ある経験から

特別 な  “ 寂しがりや ” になったのだな・・

そう 思ったのです

 

胎児から 赤ちゃん時代を過ごした大家族から

両親が転居したことで 核家族になったとき

赤ちゃんのわたしは  それはそれは

寂しかったと思うのです

 

今のわたしが

赤ちゃんだったわたしの寂しさを

理解してあげたとき 胸の奥に

癒しが広がっていったことを 感じました

 

かつてのわたしは

もの心がつく…とか

最初の記憶は三歳のとき…とか

そういう言葉に 惑わされていたと思いました

 

心理療法の退行催眠のことや

現代の科学では説明は難しいような、

さまざまなな記憶についての調査・研究…

 

あるいは 科学的に研究されている、

胎児や 赤ちゃんの能力のすごさ…

赤ちゃんの観察でも見られる、

「 向社会的行動 」というヒトの特性…

 

それらについて知ったことで

わたしは 認識を 新たにすることができたのだと思います

 

胎児のときから赤ちゃん時代に

七人の家族に愛され 可愛がってもらったという、

素晴らしい経験を わたしはしていたのだ・・と理解したのです

 

母から聞いていた、今の実家の歴史のことを

表面的な知り方から  深い意味を考えるまでに成長できた…

そんな氣もちになりました

 

姉と妹は 核家族の暮らしのときに

誕生していました

 

わたしだけは 違いました

 

父方のおばあちゃんが

心細くなってしまった出来事をきっかけに

両親と姉の3人が 父の実家に同居したからです

 

そこで わたしが生まれ

わたしは  総勢 八人の暮らす家で

赤ちゃん時代を 過ごしていた…

 

“ 人との関わりの豊かな環境 ” に恵まれていた…

保育の現場での経験や 保育の心理学の学習を経た今、

そのことが しみじみと理解できます

 

母の胎内にいたときから

誕生して一歳三ヶ月のころまで

両親・ 祖父母・ 三歳上の姉

高校生の叔父・社会人の叔母から

代わる代わるに 声をかけてもらっていたに違いありません

 

さまざまな世代の家族の表情・声…

みんなにあやしてもらって

さぞ うれしくて楽しかったことでしょう

 

とくに 当時70代で 隠居していた祖父は

わたしを とても可愛がり

一緒に遊んでくれたそうです

 

一歳前後のころには

近所にある区民体育館へ  毎日のようにわたしを連れて行き

ボールなどで遊ばせてくれていたという話を

母から よく聞かされました

 

祖母は からだが弱く 主婦業は

母がひとりで 引き受けていたので

わたしは 「 おじいちゃん子」だったのでした

 

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小学校高学年のころだったと思います

家族5人( 両親と 姉と 妹 ) で

居間で過ごしていたときのことです

 

「 うちの家族って これだけだった?」

と わたしは 唐突に 発言しました

 

自分でも なぜそう思ったのか

そのときは 不思議に思いました

 

《  わたしの家族は これだけじやない、

     もっと大勢のはずだ、

     これだけじゃ、少なすぎる! 》

 

直感が そのときに あったことは 確かで、

ずっとその想い・欠落感を 持ち続けていたのです

( 子どものころから 合唱に憧れていたのも そういうことだったのかな …)

 

それから何十年も経って

日々の想いを綴る日記ブログを書いているうちに

思いあたったのでした

 

あの時は 突然に赤ちゃんのときの記憶が 甦って

そう言わずにはいられなかったのだな・・と

 

わたしは 姉と妹と違い

誕生の前後の家族の人数が多かった

 

そのときの 多彩な声・賑やかさが

わたしの 初めての環境だった

 

だから特別に寂しがりやで

おじいちゃんのように 始終 かまってくれる存在を

核家族になってからも 求め続けていたんだ・・と…

 

わたしに寄り添ってくれる、

親戚のおじさんが近くにいたらいいなぁ

優しいお兄さんがいたらいいなぁ・・

とよく夢想していた理由も 理解できました

 

わたしの思うようにはかまってくれない父親に対して

抱いていたコンプレックスも、そういう事情で

きっと 大きく感じていたのでしょう

 

何十年かの時間は 必要だったけど

両親が 長生きしてくれているおかげで

家族関係を 見つめ直すことができています

 

わたしは

“ 家族のつながりを深める”役 という

星の下に 生まれてきました

 

わたしからみると

あまりにも不器用な関係性で

60年以上 連れ添っている両親。。

 

心が通じていない二人の切なさを 読み取って

思春期以降、わたしは 悩み苦しんだのだろうなぁ・・

おかげさまで たくさんのことを学びました

 

家族の近くにいて

寄り添っていくのが わたしの “しごと”

 

流れるままに ここまで辿り着きました

家族の皆が 元気でいることが 有り難いです

 

わたしって 本当に運がいい!

 

Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を