ご機嫌いかがですか
メイもんです
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氣功やセラピーヨガのクラスで
人生の“ 師 ” である 先生( 77歳 女性 ) の
ご指導を 受けるようになり この秋で3年です
習い始めて一年半が 経ったくらいから
自分の心とからだを 観察することが
少しずつ できるようになってきた氣がします。。
そのころ反省したことが
「 “ 目標 ” とわたし の関係 」でした
思い出しながら アウトプットいたします…m(_ _)m
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目標を掲げることは
悪いことではない
便宜上、
目標があると行動しやすい
例えば
身体を整えることを目指し
弾力性の高い しなやかな筋肉と
可動域の広い 動きの良い関節を
ストレッチによって つくると決めたとする
股関節にアプローチする、
「 開脚前屈 」の場合
第一目標 ・・ひじを床につける
第二目標・・ アゴを床につける
第三目標・・ おへそを床につける
というように 段階的な目標をたてるとよいと教わった
届きそうなところを まず目標にすることで
目的に向かう長い過程も 精神的に 取り組みやすくなる
目標とは そういう役割のもので
それ以上でも それ以下でもない
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しかしながら
わたしは 残念なことに
「 目標を達成すること」が とても大事、と考えていた
単なる目標なのに 近視眼的に見てしまい、
それが重大なことであるかのように
「 勘違い」して過ごしていた時期があった
アタマで 考えたこと (「 目標の意識 」) は
自分の本心 ( 「 無意識」) とは かけ離れたことでも
“ 頑張って ” やってしまうこともある…と わかっていなかった
若いころから 中高年まで
自分がどのような人間になろうとしているのか
本当に目指すところを 明らかにしないまま
とりあえず前へ進むために 何らかの目標を掲げていた と
自分の半生を 反省した
例えば
「 生活の安定のために 定年まで勤める」という目標があった
それが 重要なことと 思い込んでいた
本心では「 それを 望んでいない 」ということを
からだや心は 不調を通して訴えていたのに 無視していたのだった
( 偶然に早期退職制度ができ、それに応募して転機を迎えるまでは…)
それは “ 受験テクニック ” の弊害だったのだろうか…
「 すぐに 答えられない問題は 後回しにするか、
難し過ぎて 回答できなさそうと判断できる場合には
その問題に取り組むのをやめた方が エネルギー の消耗を防ぐ 」
たかが 試験のときの戦略なのに
生活上でも そんなクセがついていることに なかなか氣づけなかった
定年まで勤めるとか 資格を取ろうと勉強するなど
目標を持って生活をすることは もちろん悪いことではない
その先にある ビジョン( 目的 ) が
自分にとって「 本当のこと 」であるならば・・
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さて、今は。。
これまでの反省をもとに 考え中の事がらがある・・
通い慣れてきたスポーツジムの
施設利用料の定期券を買うかどうか。。
( 低レベルなことで 恐れ入ります m(_ _)m )
定期券は 便利だけど
わたしの 性格からすると
モトを取ろうと 目標利用回数を設定し
それに合わせる意識が勝って からだの声を聞き逃したり
通い過ぎて本末転倒になる恐れがある… (^_^*)
( 数年前、筋肉と関節を柔らかくするために行っていた、
「 開脚前屈 」なのに、ムキになって力を加えてしまい
筋断裂という痛い目にあった“ 本末転倒 ” 経験があります…)
もちろん、運動の習慣のためには
ジム通いの目標を掲げるのは 良いことなのだけど・・
しばらく 検討してから 決めたいと思います !z(・∀・)
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を