ご機嫌いかがですか
メイもんです
先週、氣功のクラスで
先生 ( 77歳 女性 ) から 宿題が出されました
「 “ 宇宙意識 ” について 調べてみてほしいのです 」
検索して いくつかの文章を 読みました
そして 思い浮かんできたことを書いてみたいと思います
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“ 宇宙意識 ” という言葉が あるという
何となく わかるような、わからないような。。
“ 宇宙を意識する ” という普通の言葉なのか
あるいは “宇宙そのものが意識・意思を持つ ”
“ サムシング グレート( 神 ) ” の 意味なのだろうか・・
わたしの中では
今はまだ 曖昧なまま
ふんわりと受け止めている
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現代を生きるわたしたちは
宇宙飛行士ではないとしても
“ 地球を 飛び立ち
外側から眺めて見ると
何という美しい星なのだ…地球とう惑星は !”
というイメージを抱いていることだろう
宇宙の姿の一部を捉えた映像や
宇宙を舞台にした物語( 映画 ) によって
地球や その他の星の姿かたちを認識しており
宇宙飛行士に感情移入することが 自然にできてしまう
果てしない宇宙へと広がっていく想像力を
科学や物語を産み出す人間の情熱によって与えられたのだと思う
では
人類が 宇宙を体験する以前、
外側から見た地球の美しい姿を知らない人々の意識は
どのようなものだったのだろうか・・
山の頂に立つことが
想像力を 広げてくれていたのでは、
と想像している
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《 自分は今、山頂にいて
眼下にひろがる景色を眺めている
人々の住む大地がはるか下に見える
山に登る前はあそこにいて
家族や仲間たちと暮らしを営んでいた
山の上から俯瞰すると
高い位置の自分が 低い位置の小さな自分を見ているような、
不思議な感覚を覚える…
今 この高みにいるわたしは
何と広い視野と心を 得ていることか… 》
……………………………
このような感慨は
宇宙飛行士が 地球の美しい姿を見たときのものと
似ているのではなかろうか…
重力や肉体からいったん離れているかのような感覚、
これを “ 宇宙意識 ” と表現してもいいだろうか…
( 現時点での わたし独自の捉え方なので
専門書などにある概念とは ずれているかもしれません m(_ _)m )
“ 宇宙意識 ” を 持つことは
物事に 動じることなく
環境や状況の変化に一喜一憂することなく
宇宙のように果てしなく心の奥が 広がっていくイメージ。。
そんな理想を 抱いてみるだけでも
心が 広く平らに 穏やかになっていく氣がする…
目の前の課題に取り組み
社会・家庭生活を日々営んでいく中で
たまには そのリズムから離れ 生活を 一休みし、
たとえ一瞬でも
“ 宇宙意識 ”
“ 宇宙から自分を眺める目 ” を機能させて
平常心を養えたら…と 願うようになった
もし それが習慣となっていったら
人生の最期、肉体の死を迎えようとするときに
「 ああ、そうか… 自分は宇宙に還っていくのだな ・・」
「 元氣なうちに 練習しておいたから スムーズだな ・・(^ν^)」
なんて 思ったりするのかしら… w
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Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を