ご機嫌いかがですか
メイもんです
氣功の先生( 78歳・女性 )が
Facebookに ご自身の「 書 」を
載せてくださることがあります
武田双雲さんのお教室での作品や
ご自宅で好きな言葉を 書かれたものなど…
それを見て
武田双雲さんの本を読み返したくなり
本棚から取り出しました
その中のエッセイを一つ、
ここに転記させていただきます m(_ _)m
「 狡 」
狡い( ずるい ) という言葉をよく僕の息子(現在六歳 )は妹に対して使う。
あれは人間の本能のようなものだ。
おそらく、昔々、食料が十分でない時代に、
兄弟や他人に自分の分を取られて餓死することを 回避するための感情ではないか。
もし、なんでも他人に譲る優しい人だったら、その時代だと死んでしまう。
当時は必要な本能だったのだろう。
ずるいという漢字は、けものへんに交わると書く。
人は幼い時は動物的な本能を持っているが、他人や社会と交わっていくうちに、
「 ずるい 」と思って自分のことばかり考えていては、
結局自分にとって損であることに気づいていく。
「 ずるい 」と感じる自分の感情を受け止め、他人に譲ること
を覚えていくこと。それが結局は自分のためになる。
そういうことを教えてくれる漢字ではないか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
保育補助員として
幼い子どもたちと関わり合う中で
おもちゃの取り合いのトラブルに接して
人間の本能に触れている…としばしば思います
また、「 ずるい 」という感情は
三姉妹の真ん中で育った自分の経験からも
よく味わっていた、「思い出深い感情」の一つです…(・∀・)
しかしながら
それとは対照的な、人間の特徴を
保育の心理学の講習を受け、知ったのでした
「 向社会的行動 」と
名付けられているものです
( 以下、「保育士絶対合格テキスト」p225より抜粋します )
感情は非合理的なものではなく、ある状況や問題の解決のために
長い進化の中で現れた知的なシステムと捉えられます。
他者とのコミュニケーションには 感情の理解は欠かせないもので、
他者の感情への共感が 向社会的行動 を生むこともあります。
( 向社会的行動=お礼などの報酬を期待しないで、
相手のためになることを、自発的に行う行動。)
おぼろげな記憶ですが
お座りした状態の、一歳未満の赤ちゃんが
横にいる赤ちゃんのために 何かを渡そうとしている、
「 向社会的行動 」の映像もどこかで観たような氣がします
そして、もちろん
保育所の1〜2歳の園児が
泣いている子のそばに寄ってきて
共感的な表情で慰めているような様子を 何度も 目にしています
「 情けは人のためならず 」
このことわざも、情けをかけるのは結局、自分のためになる…
という解釈が一般的なのかもしれません が、
わたしの解釈は こうです・・
「 情けというものは、その人の為を思って、とか
自分に見返りがあることを計算して、の行為ではなく、
困っている人をみた瞬間、手助けしていた…というように
自発的・反射的に 行われるものだ… 」
《 他者への共感から生まれる、純粋な“ 向社会的行動 ” ってあるよね〜 》
というニュアンスで 昔の物語の中で使われていたことがある旨の解説が
「岩波ことわざ辞典」にも書いてありました^ ^
もしかしたら、ですが
腸内フローラの善玉菌・悪玉菌・日和見菌が
2: 1 : 7 の理想的なバランスのときに、
向社会的行動は出やすくなるのかしら。。
( 幼な子の腸内環境がフレッシュなイメージなので・・(・∀・) )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を