ご機嫌いかがですか
メイもんです
先日メモした、
帯津良一先生の文章に
影響を受け、考えてみました…
からだ・心・いのちは
わたしという存在の3つの側面であるけれど
それぞれの面からみて
健やかさを養う” 栄養 “ とは
どのようなものだろう・・
からだに対しては、常識的には
他の生き物から頂く、物質としての「 栄養 」。。
( 人類の進化形かと思われるような、呼吸から栄養を得る、
” ブレサリアン “ という生き方も 聞いたことがあります… )
心に対しては、わたしが思いますに
愛情、信頼、親切、安らぎ、慈愛、など
目には映らない、温かな波動( 氣 )という「 栄養 」。。
そして
いのちに着目してみたとき
いのちの「 栄養 」って どういうものでしょう・・
いのちが その寿命を全うしようとするとき
ここ一番のパワーを発揮する、エネルギー源といいますか…
もちろん
いのち そのものが
エネルギー、生命力のことですが、
本で読んだ “ 臨死体験 ” のお話から考えますと
「 死の淵 」から戻ってくる“ きっかけ ” となるもの、
それを、いのちの「 栄養( エネルギー源 ) 」と捉えてみたいのです…
臨死体験では
「 あの世、死の方向 」へ行かないで
「 この世、生きる道 」へと引き返しなさい、と
テレパシーor 誰かの声で 呼びかけられるのだ…と 聞いています
おそらく、睡眠中の夢に似た感じなのでしょう…
そして 眠りから目が覚めるように、死なずにすんで生き返る。。
このとき、いのちを支えてくれた“ 栄養” は
敢えて表現してみるならば 「 直観 」でしょうか…
まだ、寿命が尽きるわけではない、
この世で生き続ける、エネルギーが残っている…
それを自分に知らせてくれるものとしての、直観。。
からだと心からのメッセージとも言えるし、
大いなるもの、宇宙意識、神さまからの言葉とも感じられる…
その言い方を変えてみると
声なき声を聴く、「 直観 」なのだ思います
ですので
からだ と 心 はもちろんのこと、
いのち にも焦点をあてた栄養をつけるには
直観を磨く習慣を持つと よいのではないかなぁ・・
日々、自然や芸術に触れながら “ 感じること” を大切にして。。
そうしていくと
世の中のざわざわした情報に惑わされず
“ 今ここ”で本当に大切なことだけに意識を向け
寿命を全うする生き方に なっていくような氣がします…
となりの実家の飼い猫“ ちゃ”が
茹でたてのコマツナを好んで食べるのと同じように、
ヒトであるわたしも
アタマではなく、からだが欲している栄養を
直観で判断していただき、腸内環境が整いスッキリしたり
周りの人や 生き物たちと直観をもとに交流を楽しみ
一人静かに過ごすときには 瞑想したり音楽に浸ったり。。
ふと、思います・・
いのちを” 息“ と意訳すると
ここで わたしの書いてきた内容は、
「 調身 ・ 調息 ・ 調心 」のこと。。
氣功の先生 ( 78歳・女性 ) に教えて頂いた、
氣功を習う者の、目指している在り方なのでありました・・
三つが調ったところに 志が宿り
遠くを見つめながら歩む…そんなイメージが見えてきます…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「 希望のことば 」( 偕成社 ) より
「 大いなる希望は
大いなる国民をつくる。
トマス・フラー 」
「 わたしは has been では
ありません。
わたしはつねに
will be なのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お読みいただき ありがとうございます m(_ _)m
Have a nice day!
どうぞ すてきな一日を