ご機嫌いかがですか
メイもんです
山田太一さん ( 脚本家・小説家 ) の
エッセイの抜き書き、昨日の続きとなります
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《 自分自身が心地よいこと 》
(前略 )
自分の幸福のサイズ。
それは大きければいいというものではない。
用心深く小さくする必要もない。
そのサイズをどの辺りに置くかが
その人間の器量なのかもしれません。
そしてそのサイズは、
みんなが違うものであって当たり前なのです。
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以下、
わたしの感想です
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18歳のとき
予備校の小論文の授業で書いた作文に
赤ペンで記された講師の先生のコメントが印象的でした
“ 身の丈 にあった文章で 好感が持てる ”
そのときの わたしにとって
「 身の丈にあった 」という表現が
おそらく、語彙として新鮮だったのでしょう…
また、自分でも珍しく素直に書けた…と
満足できたものだったので 認められてうれしかった…
そんなふうな感じで 今でも覚えている出来事なのでした。。
◇◆◇◆◇
「 幸福のサイズ 」
「 自分自身が心地よいこと 」は
文字通り “ 身の丈にあったもの ” ・・ですね^^
山田太一さんのエッセイに戻りまして、
次の具体的なお話は、少々長くなりますが
とてもわかりやすくて共感しましたので 転記します
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旅をしていて、たまに割引やサービスなどで、
ホテルのスイートルームに泊めてもらったりすることがあります。
とても贅沢な気分にはなりますが、何せ私と家内の二人だけ。
部屋は不必要に広すぎるのです。
貧乏性な私は、何とか元を取ろうとあちこちの椅子に腰掛け、
あらゆる設備をためしたりします。
夜も遅くまで部屋の中をウロウロしたりする。
結局はゆっくり休むことができずに、
かえって旅の疲れだけが残ったりするんです。
どうも私のサイズではない。
幸福のサイズも、これと似ているのかもしれませんね。 ( 完 )
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抜き書きは以上です m(_ _)m
自分にあったサイズを知ることは
中高年が、限られた時間と体力を上手に使うために
是非とも心がけておきたいことだなぁ…と わたしも思います
お茶碗の大きさ、
着る服のサイズなど、
日常生活のささいなことから
人生で味わいたい「 幸福のサイズ 」のことまでも。。
◇◆◇◆◇
ふと思いました…
世界の人々とウイルスの問題を共有する今は
人間の「 器量 」を 自然と増していかざるを得ない・・
全体の幸福( ウイルスの終息 ) がなければ
自分の幸福 ( ウイルスを恐れない ) も 実現しないのですから…
人間としての器量を上げながら
身の丈の心地よさ味わうことも 大切にしたいと思います^^
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Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を