うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

「 幸福のサイズ 」( その2^ ^ )

ご機嫌いかがですか

メイもんです

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わたしの好きなポストカード^^

 山田太一さん ( 脚本家・小説家 ) の

エッセイの抜き書き、昨日の続きとなります

 

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《 自分自身が心地よいこと 》

 

(前略 )

自分の幸福のサイズ。

それは大きければいいというものではない。

用心深く小さくする必要もない。

 

そのサイズをどの辺りに置くかが

その人間の器量なのかもしれません。

 

そしてそのサイズは、

みんなが違うものであって当たり前なのです。

 

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以下、

わたしの感想です

 

◇◆◇◆◇

 

18歳のとき

予備校の小論文の授業で書いた作文に

赤ペンで記された講師の先生のコメントが印象的でした

 

“  身の丈 にあった文章で 好感が持てる ” 

 

そのときの わたしにとって

「 身の丈にあった 」という表現が

おそらく、語彙として新鮮だったのでしょう…

 

また、自分でも珍しく素直に書けた…と

満足できたものだったので 認められてうれしかった…

そんなふうな感じで 今でも覚えている出来事なのでした。。

 

◇◆◇◆◇

 

「 幸福のサイズ 」

「 自分自身が心地よいこと 」は

文字通り “ 身の丈にあったもの ” ・・ですね^^

 

山田太一さんのエッセイに戻りまして、

次の具体的なお話は、少々長くなりますが

とてもわかりやすくて共感しましたので 転記します

 

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旅をしていて、たまに割引やサービスなどで、

ホテルのスイートルームに泊めてもらったりすることがあります。

 

とても贅沢な気分にはなりますが、何せ私と家内の二人だけ。

部屋は不必要に広すぎるのです。

 

貧乏性な私は、何とか元を取ろうとあちこちの椅子に腰掛け、

あらゆる設備をためしたりします。

夜も遅くまで部屋の中をウロウロしたりする。

 

結局はゆっくり休むことができずに、

かえって旅の疲れだけが残ったりするんです。

どうも私のサイズではない。

 

幸福のサイズも、これと似ているのかもしれませんね。 ( 完  )

 

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抜き書きは以上です m(_ _)m

 

自分にあったサイズを知ることは

中高年が、限られた時間と体力を上手に使うために

是非とも心がけておきたいことだなぁ…と わたしも思います

 

お茶碗の大きさ、

着る服のサイズなど、

日常生活のささいなことから

人生で味わいたい「 幸福のサイズ 」のことまでも。。

◇◆◇◆◇

 

ふと思いました…

世界の人々とウイルスの問題を共有する今は

人間の「 器量 」を 自然と増していかざるを得ない・・

全体の幸福( ウイルスの終息 ) がなければ

自分の幸福 ( ウイルスを恐れない ) も 実現しないのですから…

 

人間としての器量を上げながら

身の丈の心地よさ味わうことも 大切にしたいと思います^^

 

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Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を