ご機嫌いかがですか
メイもんです
本棚から一冊の文庫を取り出しました
線のひいてあるところを 流し読みしていて
ここ いいな、と 思った文章を転記させていただきます m(_ _)m
わたしの生きている、“ 環世界 ” のイメージかな、と感じたのです
合間にわたしのツブヤキを 挟んでおります…
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「 身体レベルで生きていることそのものの肯定感がなければ、
何の意味をつけ加えたところで、本質的な充足感は生まれません。
身体を置き去りにして「 自分探し 」や「 意味ある生き方 」を
探しても、何も見いだすことはできないでしょう。
いま生きているこの身体以外に、自分の居場所はないのです。 」
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わたしは
「 身体を置き去り 」にした苦い経験があるので、
うん、うんとうなずくのでした。。
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「 何となく意味なく気持ちいいーー深く眠りに落ちている時間や、
ただボーッとできる、ほっとできる、そんな「 無意味な時間 」
こそが大切なのです。あるがままの身体がそのとき表れます。 」
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たしかに。。
都会的な暮らしを求め過ぎていたころは、
全ての時間を意味で満たそうとしてしまっていたかも。。
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「 「 意味なく気持ちいい 」とき、身体は開かれ、人や生き物や
周りの世界と響き合います。
生きるということが自ら奏でる音楽であるとすれば、周りのサウンドを
吸収しながら自らのオリジナルサウンドを思いきり響かせること、
自らの音色が周りの人たちに気持ちよく響きわたることーー
それが「 生きる 」をまっとうすることであり、整体の目指すところ
でもあります。
そのとき人は独りであって独りでない。大好きな人とも大嫌いな人とも
めぐりめぐって大きく響き合っているのです。
響き合う身体の音楽をきくこと、あとは全部おまけです。
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「 響き合う身体の音楽をきくこと 」 が本質で
「 あとは全部おまけです 」と言い切れるような“ 深み”に
近づいていきたい・・
そして、実感しています…
カルチャースクールで参加している、
女声コーラスのハーモニーに包まれるときの
心地よさが何ものにも替えがたい体験であることも。。
お読みいただき 誠にありがとうございます😊
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を
《 追伸 ; ドイツの学者( 生物学・哲学) さんが
創り出した概念の日本語訳である、“ 環世界 ” という言葉を
いつの間にか好きになっていて ぼんやりとイメージしているこの頃です… 》