ご機嫌いかがですか
メイもんです
自分の立ち方と 動作について
感じるところがあり、以下に呟きます ( 長文ですm(_ _)m )
《 きっと わたしは
重心を安定させる“ この感覚 ” を
身につけるために、これまで もがいてきたのだ… 》
そう氣づいたのは、最近のこと・・
アタマで理解しても、なかなか出来なかった“ 上虚下実 ”…
今、ようやく自分のからだが “ 進化 ” した結果を感じとっている
◇◆◇◆◇
おそらく、一番はじめに
自分の身体を変えたいと願ったのは
大学の部活の混声合唱団で 歌うことに夢中になったとき…
先輩の声に憧れ
歌の発声を初めて習い
先輩のように歌えるようになりたいと思った
そうして芽生えた、わたしの探究心、
「 どういうふうにしたら、ノドに力を入れずに
氣持ちのよい発声で のびのびと歌えるのだろう。。 」
この疑問に対して、
声楽の先生( 5歳年上のソプラノ声楽家 ) は、
惜しみない情熱で応え、わたしが40歳の時から15年もご指導くださった
発表会で独唱する機会は、年に2回は必要…と緊張感を保ち、
音楽・表現の素晴らしさ、人生の楽しみ方を 教えられたと感じている
声楽をやめる直前のころには
「 ずいぶん身体の使い方がわかってきた 」
との評価も いただき、わたしも変化を実感できていた
( まだまだ…の段階であることは もちろん自覚しつつも…(^_^*) )
◇◆◇◆◇
4年前の、そんなある日に
「 上虚下実 」や「 丹田力 」という言葉を使って
それが身についた姿の、お手本を示してくださる方と出会った
当時 通っていた整体スクールの
氣功クラスの先生( 現在は79歳 の女性 ) である
氣功の先生は
声楽の先生もそうであったように
わたしの心が求めていた「 人生の師 」。。
常識では考えられないような“ 不食 ” の話や
魂のレベルの、深いお話も たくさん聴かせてくださった
◇◆◇◆◇
お二人の、自分と同性の「 人生の師 」とは
自然の流れの必然的な出会いだった…と感じていたが
三人目の「 師 」は、その時のわたしにとっては意外な方だった。。
新たな師は、昨秋ご縁ができた、
ジムのインストラクターの男性( ダンサー・71歳 )
異性であること、年齢、経歴、ジャズダンスなどの要素に
少し違和感を感じながら、健康体操の指導を受け始めたのだった
けれども、この師との出会いも
訪れるべくして訪れた幸運だった…と、今になって知る
ながらく潜在意識に眠らせいた、
( 苦手・向かないと諦めていた )ダンスへの憧れを満たし
身体感覚への氣づきを、ハードルを低くして 導いてくださったのだ
小さなダンススタジオ で、バーをつかい、
バレエの基礎ふうのエクササイズを初めて経験したことにより
わかりそうでわからなかった「 丹田力 」を 発揮でき、バランスが良くなった
わたしの思う、この“ 内側の極意 ” は
身体を使ってする表現の全てに通じる…と想像される
それは、声楽の先生がレッスンの時に おっしゃっていたことであり、
氣功の先生は、その眼差しと存在を通じて 伝えてくださっていたのだった
◇◆◇◆◇
歌うこと、表現すること、身体のことについて
わかりたいと願ってから、40年近い年月を過ごしてきた
痛い思いや、回り道を しながら
やっと辿り着いた見晴らしのよい場所…という感慨がある
そして、もちろん
目指す道は 遠く高いところへと続いている・・
◇◆◇◆◇
わたしの思う「 丹田力 」の理想は
いわゆる “ 肚のすわった ” 態度を保つこと
筋肉の使いう様子として は
骨盤底筋群、下腹部と脚の内側の筋肉を
良く使えるように目覚めさせ、起きているときは
いつも柔らかく引き締めている感覚である…と捉えている
丹田力の存在は、“ 三分咲きの笑顔 ” が
自分の ”定番“ となることに 似ているように思う
そのような在り方が
いつもの自分…という基準があると
心と意識が、澄んだ青空のように 明るくなる氣がする
おかげさまで 今、
仕事で赤ちゃんを抱いて移動する動作も
カルチャースクールで趣味のコーラスをするときも
家事を行う動作においても、ピアノを弾く練習のときも
すっと氣が通る感覚で 安定し、心地よく楽しんでいられる
そんな幸せは、それとは逆の、
不安定に悩みながら動作していた時代があったからこそ
しみじみと感じられることなのだから、全てに感謝…しかない ( ^ω^ )
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「 365日 名言の旅 世界の空編 」10月29日のページより
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Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を