ご機嫌いかがですか
メイもんです
新聞のコラムで
演出家 浅利慶太氏の人生について知りました
メモしたい部分を
ここに抜き書きします
劇団四季を率いた浅利慶太さんは、宿命という言葉が好きだった。
こう考えていた。
この世界は人間の手が及ばない大きな力に支配されている。
人間は本来、孤独な存在だ。
けれど宿命を引き受け、その中で懸命に行為すること、
そこにこそ尊い自由があるだろう。
この人生は生きるに値するーーー。
( 日本経済新聞 1月9日(土曜日) 【詩歌・教養】コラム“ 舞台と人生” 内田洋一 氏筆 )
劇団四季のミュージカルを
若いとき、友人と一緒にいくつか鑑賞しました
浅利慶太氏のことは
その頃から氣になる存在だったと思います
浅利さんの出発点には、ふたつの死がある。
戦後の混乱期に自ら命を絶った姉の陽子と
劇作家の加藤道夫である。
舞台の世界で活躍する人が
兄弟や親戚の悲しい死を経験しているという話を
いくつか聞いたことがあるので、なるほど。。と感じました
四季設立から3年ののち、
浅利さんは演劇評論家との対談で話している。
「 僕は加藤さんが死に、僕の姉が死んだこともわかるので、
それだけならば僕も死のうと思うんですが、
僕が死なないでいるのは、その人たちに対して、
僕が死なないでいる理由になるものをやりたいと
思うからなんです。 」
「 死なないでいる理由 」というタイトルの
ある哲学者の本を、40代のころに読んだ記憶があります
あまりよく覚えていないけれど、いろいろ考えさせられたはず。。(^_^*)
さて、これも驚くべきことながら、
浅利さんは父との間でも宿命のくびきをつくった。
新劇の子なのに、新劇を全否定して出発したのである。
世に出る人には
劇的なファミリーヒストリーの存在が多い氣がします
もちろん人は誰でも、
ファミリーヒストリーの影響は大きいのですが。。
◇◆◇◆◇
そして
記事の最後の部分です
四季が食えない劇団だったころ、
よく面倒をみたのもこの父だった。
宿命の人、浅利慶太を支えたのは
心から心へと伝えられた演劇の花だろう。
◇◆◇◆◇
( 遺伝子に刻まれた ) 宿命を引き受け
その中で懸命に行為することにこそ、尊い自由がある。。
心から心に伝えられた想いを
自分なりに受けとめて表現していく。。
これらの言葉を
噛みしめたいと思いました
**********************************************************************
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を