ご機嫌いかがですか
メイもんです
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人の持つ関係性の中で
最も深いつながりである“ 両親 ” ・・
となりに住む父とは
そう遠くない将来に 別れが来ます
持病のある母の方が 先になるかもしれません
もちろん、わたしが
早く逝く場合もありえます
ブログで日記を書く中で
三姉妹の真ん中であるわたしが
両親と 最も強いつながりをもつ理由が
ファミリーヒストリーと共に腑に落ち、心が定まりました
( 書くことで 自分で自分を占ったような不思議な感覚です )
96歳の父の
枯れるように衰えていく姿は
わたしに “ いのちの自然 ” を教えてくれます
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少し前のこと。。
ニュースで報道された、
ある人が自治体に訴えている その事情に驚きました
病院で出産時に取り違えられ
血縁の親を全く知らずに育った63歳の男性の話です
誕生日が近いと思われる人を
自ら訪ね歩き、実の親を探したが
未だに 見つけることができていない。。
なので
病院を運営していた自治体に
責任を持って調査をしてほしい。。という内容でした
そのような重い現実を背負って
人生を歩むのは どんなに辛い心持ちでしょう・・
自分のルーツを
身近に感じられないとき
“ 根っこ” がないような、
落ち着かなさ、“ 虚しさ ” たるや
想像を絶するもの・・と 思われるのです
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人生における
“ 深いつながり ” は
幼いときは 皮膚感覚として
長じてからは 心の絆としてあってほしい・・
何らかの事情があって
実の親がわからないとしても
いつか
大きな物語を見つけ 心が救われ
明るい 温かな光に 包まれますように...
そんなふうに
願うしか ないのかもしれません 。。
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家族の絆を想うとき
わたしは 複雑な心境を抱きます
若いときよりも
だいぶ薄らいでは おりますが
過去の様々な感情や想念が
うずまいている感じでしょうか・・
喜怒哀楽に
揺れ動く不安定な心
優しい心・美しい心
自分本位の狡い心・醜い心
言葉では言い表しがたい、
アンビバレントな モヤモヤとした心。。
来年には
還暦となる年齢となり
人間の奥深くにあるもの、
“ ほんとうのこと ” に 関心が向いています
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2年前に買ったものの
全く読まないままだった文芸雑誌。。
先日 片づけの途中で
何気なくページを開いてみると
「 醜 」というタイトルが目にとまり
坂東玉三郎さんの語られた言葉が、心に響きました
以下、小説家 真山 仁さんの
随筆の冒頭の部のを抜き書きをします
「 醜さと言うのは、人間だけが感じる原罪のようなものです。
例えば、宇宙や自然界に、醜さというものは存在しない。
あるがまま、そこにあるだけ。
それを美しいとか醜いと感じるのは、人間だけ 」
美の達人と誰もが認める歌舞伎俳優の坂東玉三郎に、「 醜 」とは何かと
尋ねた時に帰ってきた答えだ。
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わたしの心の奥に
ふだんは隠れている“ 感情 ” は
人間の醜さに関係している..と思います
明け方にみた夢の中で、
過ちを犯し 重くのしかかる罪悪感に
苦しい気持ちになったことも ありました
“ 原罪 ” や“ 醜さ “ を
見つめたいと思うことができるのは
「 昔話の深層 」など何冊かのご著書を
若いときから読んできた影響も あるかもしれません...
「 さらに、もっと残酷なのは、
地球上の生物の中で人間だけが醜い 」と玉三郎は続ける。
彼がそう断言するのは、「 自らが醜いから
美しいと感じる 」のだという。
醜さ と 美しさ、陰 と 陽...
わたしも そういう捉え方をしています
“ 老い と 若さ ” に
言葉を置き換えてみれば
高齢の両親を間近に見て
自分の老いも感じとっているから
勤務先の幼な子たちの 若さの輝きに
こんなにも目を奪われ、接する幸せを感じるのでしょう...
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玉三郎さんの言葉を
さらに書き写したいのですが
長くなってしまうので
またの機会に書きたいと存じます
お付き合いいただきまして ありがとうございます m(_ _)m
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Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を