うたと からだと わたし

キャリアチェンジして6年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

「 憧れる 」の語源を知った。。

ご機嫌いかがですか

メイもんです

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◇◆◇◆◇◆◇

 

11月14日の記事の続編として

文芸雑誌に掲載されていた真山 仁さんの随筆と

その中の 坂東玉三郎さんの言葉を抜き書きします m(_ _)m

 

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二十一世紀に入り、

美の真髄を感じ取る人が減ってきたと、玉三郎は嘆く。

 

「 美を感じる器は、私は魂だと思います。

 自らの醜さを自覚した上で、魂のあり方で

 美を感じる必要があります。

 

 ところが最近では、美に感動したという多くの人の

 美しさへの反応が、ムードに付和雷同しているだけに見える。

 つまり理解した気になっている 」

 

◇◆◇◆◇


このあとに

SNS上に挙げられた、

“ 美”に感動した “ という人々の様子について

具体的に書かれているのですが、そこは飛ばします m(_ _)m

 

 美を追究する人は、己の醜さを自覚している。

 それは、辛いことではないのだろうか。

 

 「 辛いですね。だから、何かに憧れたり、

  ひととき、我を忘れる時間を作ろうとする。

  それによって、醜い自分や居心地の悪さから飛躍できる 」 

  

 芸術家は、己の醜さからの解放を求め、

 結果的に美を生み出すことになるのだ。

  

 

◇◆◇◆◇

 

“ 美を追究する人”を 拡大解釈しますと

芸術家に限らず 普通の人も含まれることでしょう...

 

わたしたちは

身だしなみや、住んでいる環境のことや

趣味の習い事などでも “ それなりに” 美を追究しています (*^^*)

 

◇◆◇◆◇

 

「 憧れる 」の語源は、「 あくがる 」だ。

 「 あく 」とは、場所を指し、「 かる( がる ) 」とは

 「 離れる 」を意味する。

 

 つまり、ある場所から離れるという意味だ。

 肉体はその場に止まっても、想念は飛躍する。

 そんな想いが、憧れを醸成するのだ。

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 玉三郎の舞踊は、立ち姿から一挙一投足に魂がこもっている。

 肉体のみならず、衣装の端々までが、生を得たようにその場を支配する。

 やがて、それは劇場を飲み込み、その時空をまるごと無我の境地に

 誘うと言われている。

 その舞踊の極意もまた、憧れにある。

 

◇◆◇◆◇

 

「 劇場を飲み込み、その時空を

 まるごと無我の境地に誘う 」舞踊。。

 

そのような舞踊( 芸術 ) の極意 ・“ 憧れ ” とは、

話に聞く“ 幽体離脱 ” の感覚に 近いような感じでしょうか。。

 

◇◆◇◆◇

 

「 人間は、常に何かに縛られている。

 きちんと座っていなくてはならないなどの

 日常の小さな事はもちろん、社会のしがらみにもがくとか、

 日本という国から抜け出せないなど。

 

 それは、肉体的、現実的な縛りです。

 本当は、魂は自由なはずなんですが、

 日々の拘束によって魂も縛られていく。

 

 そこから一瞬飛躍するというか、

 飛ぶ、あるいは飛ぶことによって解放される。

 舞踊とは、ある種の引力からの解放なんです  」



◇◆◇◆

 

「 舞踊とは、

  ある種の引力からの解放 」

 

玉三郎さんの語りなので

「 舞踊とは 」と仰っているわけですが

 

「 芸術とは

  “ 憧れ ” に導かれた

  ある種の引力からの解放 」

 

というふうに

広い意味で わたしは受け止め、

その言葉をしみじみと 味わったのでした。。

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お付き合いいただき

誠にありがとうございます m(_ _)m

 

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Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を