ご機嫌いかがですか
メイもんです
昨日は
となりの実家の母 ( 86 ) が
ひとりで 鍼療院に出かける日でした
わたしが先週
お世話になっている鍼の先生に
母のことも診てほしいとお願いし、
わたしが付き添い
初めて鍼などの施術を経験した母は
すぐに先生を信頼し、通うことにしたのです
母は、腰椎滑り症からくる、
坐骨神経痛が 先月より顕著になってきて
費用を惜しまずに治療する氣になってくれたのでした
というわけで
父 ( 96 ) が ひとりで留守番している間
いつもより長い時間、父の話を聴くことができました ( ^ω^ )
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父は、先月下旬に
お風呂の洗い場の低いイスから
滑り落ちて尻もちをつき、母に助け起されました
その事故をきっかけに
要介護の認定を受ける手続きを進めており
先日、自治体の担当者による面接を終えたところです
( わたしは その面接には 同席しませんでした )
そのとき
どんなやりとりがあったのか、
父は自分の感想も交えて説明をしてくれました
その他の話題で
家の修繕についてや
デイサービスの様子を聞いたあと、
わたしは用意しておいた質問を
( 父の耳が遠いので ) 紙に書いて見せました
「 お父さんの
祖父母4人の名前を
文字に書いて教えてください 」
( 家系図のない、庶民の家なので。。)
すると、
一人の祖父( わたしの曽祖父 )の
“ ◯太郎” という名前のみ 書きました^ ^
自分の父親と
母系の祖父の名前が “ ◯太郎 ” で
偶然にも全く同じ文字と読みだったので
その名前だけは 印象深く覚えていたようです
この質問を緒にして
父は子ども時代の思い出を 語り出しました
その中で
わたしの心に響いたのは
父の「 苦しかった 」という表現です
父は小学校の成績が優秀で
当時の名門校に進学したのですが
そこで初めて 出自について
周りと比較し“ 苦しかった ” のだそうです
( “ 思春期あるある ” 物語だと思いました (^_^*))
父の口から出てきたのは
「 ( 両親が ) 田舎の農家出身で
東京や進学のことを まるで知らない 」
「 貧乏 」「 金持ち 」、
そして「 出世 」という言葉でした
要介護認定を
受け入れる心持ちになった、
96歳の父だからこそ、
若い時分の素直な胸の内を
こんなふうに 娘に話せたのでしょう。。
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大正14年生まれで
人生の太い柱を 昭和の時代に築き上げた父。。
父の両親( わたしの祖父母 )は
関東大震災の直後に結婚しています
すぐに長男である父が生まれ
6人の子どもを 東京で育てました
( 祖父が警察官で
上京したての祖母が
池袋で道を尋ねたのが出逢いだった、と
ずっと以前に、叔母から伝え聞いております )
わたしのルーツ、
父の肉声を通じ、肌で感じられるのは
有り難く幸せなことだなぁ...としみじみ思うのでした
ご覧いただき
ありがとうございます m(_ _)m
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どうぞ すてきな一日を