ご機嫌いかがですか
メイもんです
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先の三連休の二日をかけて
令和元年に買った文芸誌に寄稿された、
村上春樹氏の随筆『 猫を棄てる 』に、初めて目を通しました...
筆者のお父さんが
“ 小さい頃、奈良のどこかのお寺に小僧として出されたらしい ”
ということについて、「 僕の語ること 」の一部を 抜き書きします m(_ _)m
僕にはそういう体験はない。
僕はごくあたりまえの家庭の一人っ子として、
比較的大事に育てられた。
だから親に「捨てられる」と言う一時的な体験が
どのような心の傷を子供にもたらすものなのか、
具体的に感情的に理解することはできない。
ただ頭で「こういうものだろう」と想像するしかない。
しかしその種の記憶はおそらく目に見えない傷跡となって、
その深さや形状を変えながらも、死ぬまでつきまとうのではないだろうか?
このあとに 筆者は
フランスのある映画監督が伝記に記していた内容、
「 両親から離( 放棄 ) された 」経験と、作品のモチーフのひとつが
「棄てられる」であったことを述べて、次のような感想を綴っています
人には、おそらくは誰にも多かれ少なかれ、
忘れることのできない、そしてその実態を言葉ではうまく人に
伝えることのできない重い体験があり、
それを十全に語りきることのできないまま生きて、
そして死んでいくものなのだろう。
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村上春樹氏の随筆、
「 猫を棄てる--父親について語るときに僕の語ること 」を
わたしが 今のタイミングで 読むことができたのは 幸いでした
そのように思う理由は
おそらく ふたつあります
ひとつは、
昨年亡くなった叔父さんが
自分と同居したことがあった祖父について
パソコンの中に遺した文章を 思いがけず読む機会を得て
年末年始の、時の流れを意識する時期に
明治・大正・昭和の厳しい時代を生き抜いた、
ひいお爺さんの人生に思いを馳せたばかりだったため
村上春樹氏が
父方のおじいさんの人柄や人生にも触れて
自分のルーツの一端を味わっている、その行為に
共感というか、親しみというか、身近な感覚を抱いたこと。。
もうひとつは、
長年となり同士で暮らしている、
わたしの実家の父が 97の年齢となり
全体的な 衰えが進み、徐々に
閉じようとしている“ いのちの姿 ” を見て
父の生きてきた時代について 想う時間が増えていること。。
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この心に沁みる随筆を
まだ一度しか読んでいませんが
他にも抜き書きしたい箇所があります
また日を改めて
書くかもしれません ...
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話は変わりまして、
わたしの今年の抱負を
ここに記しておきたいと存じます^^
❶ 今の自分に必要と思われる“ 刺激 ” を入れる
還暦を前にして カフェインや辛いものという、
消化器官への刺激は、めっきり苦手となりました (^_^*)
今年、自分に 入れていきたいのは
しなやかな身体作りのための、鍼治療の刺激✨
そして
わたしの心身が喜ぶ、
音楽を始めとした芸術の“ 刺激( 感動 ) ” です(╹◡╹)♡
❷ 外側の自然の移ろいや
身体の内側の” 氣・血・水“ の巡りを良く感じとる
筋肉や関節、リンパ節の
一年前の” 不調 “ から学んだおかげで
今年は今のところ、いい感じの体調です^ ^
引き続き、“ 研究” を重ね
効果的なセルフケアを実践してまいります (^ν^)
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Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を