うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

わたしの眼の病気

ご機嫌いかがですか

メイもんです

 

◇◆◇◆◇

 

わたしの右眼の病気が

「 黄斑上膜 」とわかりました

 

黄斑変性 」だったら

よく聞く病名だけれど、「 黄斑上膜 」・・(*☻-☻*)

 

( 姉の片目が10年以上前から黄斑変性

  病状や治療薬がないことなどを聞いていたので

  わたしもそれかなぁ。。とぼんやりと思っていたのですが...)

 

40代の頃から

毎年5月のはじめに

かかりつけの眼科で定期検診を受けています

( 強度近視  & 網膜裂孔のレーザー手術経験もあり..)

 

今回 初めて

「 右目の見え方が変なのです 」

( 読む文字に濃淡があったり、少し歪んだり )

 

受付で そう話すと

とある機械を使った検査を加えてくれました

 

そのクリニックには

長年お世話になっていて

 

たまに お茶目な話し方もする、

少し年下のベテランの男の先生です^^

 

わたしの網膜の断面の様子が

カラーの線画となった画像を示し

 

右と左を比べながら

丁寧な説明をしてくださいます

 

「 原因は、

  ぶつけたことです 」

 

先生は断言し、

わたしに質問しました

 

「 目のところを

  ぶつけませんでしたか? 」

 

「 え〜⁉︎

    わたし、ぶつけても

 すぐ忘れちゃうんです。。」

 

「 “ 忘れちゃう” 、いいですね〜 ^ ^

 

  野球とか、球技を

  やってた人に多い病気だけど

  部活動は 何をしていましたか? 」

 

「 中学では

  テニスはすぐ辞めちゃったし、

   高校では

  生物部だったし・・ 」

 

「  生物部では ( 目の事故は )

      なさそうですね、、、 (^_^*)

 

       膜は、十何年とか、

  もっと長い期間をかけて

  徐々に徐々に 形成されてきます。。

 

  どこかで

       ぶつけていませんか? 」

 

「  あ、ぶつけました❗️

      一歳三ヶ月のとき

   和室で転んで、床の間の角に! 」

 

「 よく思い出しましたね〜 」

 

「  右の眉のところに

  その時の、縫ったキズが残っています

 

   若い頃、鏡を見ては気にしていました... 」

 

「  なるほど〜 」

 

「 そういえば、

  すでに子どものときから

 

  右眼の方が

  左に比べて弱いなぁ。。って

  そんな意識が たしかに ありました。。」

 

そして、先生は

大学病院に入院し手術したとしても

さほどの視力の回復は望めないことを

教えてくださり、経過観察するのみとなりました

 

*****

右眼が黄斑上膜という

病気であったことを知った、

わたしの感想を 述べたいと思います 

 

❶ ぶつけたことが原因で

 網膜の前に少しずつ膜が形成されるなんて

 人間の体の仕組みってなんて神秘的なんだろう。。

 

❷ 私の人生で一歳三ヶ月の時期は

 大きな節目になっていたと思われる... 

 

 祖父母や叔父叔母にも囲まれて生まれ

 8人の大家族の環境を離れ、“ 核家族” となるために

 引っ越した新築の家で、赤ちゃんのわたしが感じていた寂しさ。。

 

 転んで目の上にキズを負い

 さらに眼球にも衝撃的が加わっていたこと。。

 

 それらの出来事は

 その後の私の人生に 大きな影響があったなぁ。。

 

❸ 右目は視力が落ち、残念な状態ではあるけれど

 左目のおかげで 日常生活にさほどの支障はなくて有り難い

 

❹ 一年くらい前までは

 本も新聞もまぁまぁ読めていたし

 

 何よりも六十年近くにわたり

 しっかりと見たいものが見れていた。。

 

 そのことに感謝して

 これからは やりたいことを厳選し

 自分の状況をよく見極めて 諦めることも大切だなぁ..

 

・・というような

“ 還暦らしい感じ” なのでございました (・∀・)

 

◇◆◇◆◇

 

おかげさまで

となりの実家の両親も

なんとか無事に暮らしております

 

両親を見守りつつ

8月のピアノの発表会に向けて

“ 旅のはじめに ”の曲 を 弾きこんでいきたいです ♪

 

***********************************************************

 

Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を