ご機嫌いかがですか
メイもんです
「モーツアルトの作曲した楽譜には書き直しがない、
という逸話が残っている」
この話を聞いたとき 妙に納得がいきました
若い頃、「 アマデウス 」という映画を観たせい
かもしれません
また 『 自分発振 ・・』( 後述 ) の本に
興味深い記述がありましたので 引用します
“ 実際に彼は、「 私が書いたのではない、
向こうから聞こえてくる曲を、ただ書き写しているだけだ 」
と発言しており、ザルツブルクの生家にある楽譜には
確かに書き直しがなく、流れるように書かれていると
いわれています。
これは、彼が頭で考えながら作曲していたのではないことを
示しています。究極の記憶媒体であるゼロポイントフィールドのなかに
すでに「 名曲」は存在していて、モーツアルトはこの記憶媒体に
アクセスして書き写していたということです。
エジソンが発明した「 電気 」も、スティーブ・ジョブズが発明した
「 アイフォン」 も同じです。その情報はすでにゼロポイントフィールドに
存在していて、彼らの脳がアクセスしたことによって偉大な発明として
具現化しているのです。 ”
《 村松大輔 著「自分発振で願いを叶える方法」P182 より 》
これと似たようなこととして
彫刻家の話も だいぶ昔から印象に残っています
“ 素材である木を 削りとって作品を作っているのではなく
すでにその中には 現れるべき形が存在していて
自分はそれを 掘り出しているに過ぎない “
そして 芸術や発明 以外でも
例えば “ 天命 を知る ” ということも
頭で考えた結果ではなく
経験を積んだ結果 直観するものです
( ピアニストやアスリートなどは 幼少時に
すでにその経験を深くしているのですね。。)
天命という言葉なので
天から “ 降りてくる ひらめき “ というイメージです
それを 先の “ ゼロポイントフィールド ” にアクセスした・・
という表現に 直してもいいのかも しれません
また
“ 天命 ” というと スゴイことのようですが
わたしなりに 言い換えますと
“ 自分の好きなこと・夢中になれること
興味のあること・向いていることを
人生の中で 継続して表現していけたら
充実していて すてきだな・・ ”
という感じです ♡
こうして わたしが
ブログで 自分の思いを 表現できるのも
セラピーヨガ( 氣功 ) の先生と仲間の導きで
遅ればせながら SNSの経験を少し積み
人生経験は中高年として普通に持っているので
” ちょっと勇気が必要だけどやってみたい! ”
と1年前に ひらめいて 決心したからなのでした
おかげさまで とても楽しいです (^ν^)
そんな ささいなことも直観ですし
『 気づいたら 存在していた 』というあり方の
わたしたち人間 ( もしかして全てのもの ) は
もともと “ 天命 ”そのものとして
生まれてきたような氣も するのでありました。。
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を