ご機嫌いかがですか
メイもんです
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慣れ親しんだものから
離れてしまうことは
とても切ない
たぶん
年を取れば 取るほどに…
子どもの頃から
好きだった味 ( 食べもの )
よく出かけて行く場所
お氣に入りの店、公園、街
住み慣れた我が家
愛する家族や 友人たち
人生を豊かにしてくれている、
自分の一部のように感じる存在 。。
そこから
仕方なく離れたり 自らの意志で手放したとき
きっと 身が割かれるような淋しさを 味わうことだろう…
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それと似ていると言っていいのか、
少し妙な 氣もするけれど (^_^*)
からだ自身が 感じとっている、
「 自分のからだ 」についての感覚も
すっかり馴染んでいると そこから離れがたいらしい
……………………
自分とは からだと心が
一体となったもの…
からだも心も
どちらも自分の一部である
けれども不思議なことに
心 とからだは一致しないことがある
一番 身近な例では
「 甘いものは 別腹 」かもしれない ^^
もう
食欲は満たされていて
お腹も膨れていて
食べない方が
身のためだ…とわかっていても
ケーキは食べたくて 美味しく頂いてしまう…
それと同じように
良くしようとしても 言うことを聞かない、
自分の からだの状態が 観察されることがある
固まっているコリをほぐして
筋肉を柔らかくし動きの良いからだになりたいと
ストレッチや運動を 実践しているのに
なかなか 思うようにならない 自分のからだ 。。
コリ固まった筋肉で保ってきた、
絶妙な( 歪んだ ) 全身のバランスに
からだ自身は どうも 愛着があるらしい…
《 それが長年、慣れ親しんだ「 わたしのからだ 」で
しなやかで 柔らかい筋肉なんて 頼りなくて嫌だわ… 》
そう からだが言っているのでは。。と思えてしまう
きっと自分( 心と からだ ) は
意識と無意識の層をなしていて
一筋縄では 捉えられないものなのだろう・・
時間をかけて
粘り強く 諦めずに
からだに 訴えつづけ 感じてもらうしかない
現状維持が 一番いいのだと
勘違いしているからだに
そうではない、と伝えたい
しなやかな からだの
のびのびとした心地良さをは
保育者として 幼な子と触れあっているうちに
自然と 思い出しやすくなってきた
( 誰もが 赤ちゃんだったのだから。。)
イメージを膨らませ
しなやかな からだと心を
だんだんと深いところから 創っていき
これからの人生を
のびのびと生きたいと思う (╹◡╹)
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お読みいただき ありがとうございます m(_ _)m
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を