うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

「 代受苦 」という言葉。。

ご機嫌いかがですか

メイもんです

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代受苦という言葉を

瀬戸内寂聴さんのエッセイで 知りました

その部分を抜き書きします( PHP2011年8月号“ 何を忘れ、何を忘れないか”  より )

 

 

    生きていくうえで、本来は自分が受ける苦しみを

 誰かが代わって引き受けてくれていることを

 「 代受苦 」と言います。

 ( 中略 )

   いつも「無事でいられるのはたまたまで、

   誰かが代わって苦しみを引き受けてくれているのだ」

   と考えてきました。

 

 

これを読んだときに、

思い浮かんだのは神谷美恵子さんのこと。。

1966年長島愛生園( ハンセン病療養所 ) の入所者が撮影した写真…

 

神谷美恵子さんの言葉が添えられてられいます

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100分で名著の

NHKテキストの口絵を 写させていただきました…

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◇◆◇◆◇

 

わたしが35歳のとき

当時17歳だった姪っ子が 事故で急逝…

 

大きなショックを受けたわたしは

本を読み 人生について考えようとしていました

 

「 代受苦 」という言葉には

そのときには 出会えていなかったけれど、

わたしが抱いていた想いは「 代受苦 」だったと感じます

 

この言葉があるということ

神谷美恵子さんの語っていらっしゃること

そして、“ 身代わり( 代受苦 ) ” をテーマにした物語があること。。

 

それらを思うとき

わたしたち人間は つながり合っていて

「 代受苦 」の想いは自然なのだ…と 思わざるをえないのです

 

手を合わせて祈る行為は

言葉を超えたものではあるけれど

 

《 自分にはいのちがあって、

  こうして祈りを捧げている。。 

 

  自分が今ここに在るのは

  身代わりとなってくれたいのちがあったから…   》

 

言葉には ならなくとも、

そのような想いが込められていると感じます

 

◇◆◇◆◇

 

食事の前に

手を合わせて「 いただきます 」と口にするのも

犠牲となってくれたいのちへの、祈りとも言えるでしょうか…

 

身近な方とのお別れは

夏から初秋のことが ほとんどでした…

わたしにとって今は いのちを想う季節なのかもしれません

 

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「 ニャンか、しあわせ

  今日をごきげんに過ごす[ 禅の言葉 ] 」

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Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を