うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

“ 寛容 ” は 失いたくない心持ち。。( ツブヤキ )

ご機嫌いかがですか

メイもんです

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2019年12月14日( 土曜日 ) 日本経済新聞 文化欄

「 日本、寛容さを失う 」

たしかに。。
 

「 寛容さを失くしたら、いかんよー 」

って 言いたい氣持ちです  …

( つまらないダジャレで すみません 。。m(_ _)m  )

 

記事中にあった山田洋次監督の言葉の一部を 転記します

 

    「 寅さんがヒットしていたころの映画館は騒々しくてね。

        たばこや酒のにおいはする。終夜営業の三本立てなんて

        お客さんは騒ぎながら見ている。『 いいぞ!』なんて

        叫んだり、グーグー寝てたり。

        僕はそういう雰囲気で見てほしいと思う。

        いつのまにか行儀よくしなきゃいけません、

        みたいになっちゃった。

        人に迷惑をかけたっていい、というのは理屈として

        通らないわけだ。

       そりゃ迷惑かけない方がいいに決まってんだけど、

       多少の迷惑は 『 まあしょうがないね 』と言って

       許すという寛容さが消えている。 」

    

    

     「 隣近所との付き合いも希薄になった。

       人間同士がトラブルを起こし、

       トラブルを解決する、

       その中で新たな人間としての愛情がわく。

       そんな経験が少なくなり、

       付き合い方が下手になった。 」

 

 おっしゃっる通りだと思います…

 最後に あと少しだけ メモします

     

    「 寅さんの家族みたいに

      しょっちゅうけんかしていれば、

      修復の仕方も知っている。

      修復することを考えながら、

      けんかしているからね。

      人間関係についてのベテランですよ。

      今はそうはいかない。 」

 

 

 “ 人間関係のベテラン ” ・・

亡くなった義父のことを思い出しました

( もう25年も前のことです… )

 

家族で車に乗り 下町の狭い道を

発車させるとき たまたま通りかかって

立ち止まってくれた人に対して

窓を開けて「 すみませんねえ 」と 謝っていた義父。。

 

身についた自然の言葉と仕草 …  忘れられません

キリリとカッコよく 人に好かれる江戸っ子でした

 

わたしが初対面のとき すでに

ガンの影響で 車イス生活 3年目 (73歳 ) …

( 義母が一人で デイサービスなどを利用しながら

 自宅で介護していました )

 

その2年後  最後の入院をし

親族が 揃って お見舞いに行ったとき

印象的だった場面が あります

 

義父の車イスに乗った姿を見た熟年女性が  

廊下の一角の談話コーナーで すれ違いざまに

「 いい男だねえ・・」と呟いたのでした。。

 

それは まるで寅さん映画のワンシーンみたいで

“ 下町情緒 ” を経験したことのないわたしにとっては

「 ⁉️ 」と 驚く出来事として 胸に 刻まれたのでしょう…

 

その3日後に

義父は他界しました

 

親族のみなと顔を合わせ

安心したかのような旅立ちでした

 

様々な辛い経験も受け入れ

清濁併せ呑むような、寛容な心を持って

最期まで カッコ良く生きた義父を 誇りに思います

 

下町の自宅で妻に介護される暮らしぶりを

アメリカのTV番組に取材されたこともありました

 

そのときは 担当医師が車イスをおして

隅田川の方へ お花見に連れて行ってくれたそうです

 

「 いい人生でしたよ 」と語った義父の表情が

桜の木とともに 映し出された 「 いい絵 」でした

 

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お読みいただき ありがとうございます  m(_ _)m

 

Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を