ご機嫌いかがですか
メイもんです
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
若さを
失ったとき
その輝きの尊さを
やっと 知る…
健康を
失ったとき
その大切さが
しみじみとわかる…
自分の暮らしが
突如として 暗く変化したとき
無常が 身にしみて
一人 涙する…
◇◆◇◆◇
先人は 教えてくれた
“ メメント・モリ、死をおもえ ”
死を想うことで
生きることの輪郭が 浮かび上がる…
失ったときに
初めて それを外側からみて
その本質に 氣づくのだとしても
生きている間に
経験が不可能である「 死 」のことを
どのようにして 想像したらよいのだろう…
2つの方法を
試してみたいと思った
ひとつは
朝 目覚めたときに、
「 よくぞ 死なずに 今日を迎えたものだ… 」
と 今ここに自分自身が在ることに 素直に感謝すること・・
いのちの灯が消えることを
“ 永遠の眠りにつく ” と表現するように
“ 死 ” と “ 眠ること ” は 感覚的には 少し似ている …
《 先日 わたしと会話していた家族が
” ( あなたは )もう死んでいるんだよ “ と指摘したので、
“ えっ、そうだった⁉️ “ と 動揺して 記憶を辿ろうとした…
その直後に目が覚めて、夢で良かった…とほっとして感謝したのでした。。》
( それから、主人公が亡くなった家族と会話して暮らすという内容の、
映画を 昔 観たことがあったので、その影響なのかしらと思いました… )
もうひとつは
生まれる前って、どういうこと…?と想ってみること・・
生まれる前の“ わたし ” は
” 遺伝子のルーツ ” 、親・祖先の存在の中に 潜んでいた” …
そのように捉えると、
それは 「 わたし未満のわたしの片鱗 」…デハ、ナカロウカ。。
そして
まだこの世に存在しなかったとき、とは
すなわち
生きていない = “ 死んでいた ” のだから、
またそこに戻る日が やがていつか来るのだなぁ…と思うこと・・
( 赤ちゃんとお年寄りは、あの世に近い者同士で氣が合うのだと聞きました )
このふたつの「 想像 」は
わたしが 思いついたというわけではなく
たしか どこかで
誰かが 語った内容の記憶をもとに
イメージを膨らませてみたのでした。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お読みいただき
ありがとうございます m(_ _)m
◇◆◇◆◇
3日前、
30年も共に過ごしている柚子の木に
小さな白い花がひっそりと咲いていることに
初めて氣がついた…と 写真を添えてブログに記しました
↑こちらは、つぼみです…
目立たない場所で、控えめに花開きます^^
これを目にしましたので
そうだ❗️ 50年以上見ている実家の柿の木も
今こそ観察しなくては…と上を向いて探したのです (^ω^)
一昨日の朝、
柿の若葉と青空を写したあと、一生懸命、花を探し
クリーム色のつぼみを発見❗️
そして、昨日は
きいろの小さな花を見つけることができました ヽ(・∀・)
けれども
改めてよく見たら
青空と若葉の写真にも 小さな花が写っていたのですね…
最初は 見えてませんでした〜〜 ( 右の方にちょこんと2つ… )
花は 控えめに咲くけど
大きく実るタイプの、柚子と柿・・
自分と似ていると勝手に信じて、見習いたいと思います (^ν^)V
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を
《 追伸 ; お詫びをいたします❗️
昨日のブログで なぞなぞを書いたのですが
肝心要の、問題文の季節の順番が間違いでした・・(>人<;)
辞書の中の順番 ですので
「 秋・夏・春・冬 」と訂正させて頂きました
( どうやら脳ミソがふやけていたらしく、夏を最後にしていたんです… )
ブックマークのコメントでご指摘いただくまで
ボーッとして氣が付いていませんでした・・
お恥ずかしい限りです。。
そのなぞなぞを面白いと感じて書いたというのに、
根本的なミスをしてしまい、誠に申し訳ございませんm(_ _)m
今後、このようなことのないよう注意してまいります
これまでも
タイトルだけを投稿したミスのことや、
お花の名前や iPhoneの操作のことも
ブックマークのコメントを通じて 教えて頂いたことがございます
温かいお心遣いが 本当に有り難くてうれしいです
ブロガーのみなさまと、はてなブログに 感謝しております
いつも有り難うございます m(_ _)m 》