うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

「 信頼を寄せる」ということ

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ご機嫌いかがですか

メイもんです

 

このあいだ

“ 信頼を寄せる ” と決めた事柄( 契約 ) が ありました

 

自分なりに 確かめ 総合的に判断し

直感も働かせつつ 決めました

 

そこで

なぜか 思い出したのが

現代国語の教科書で読んだ随筆の 内容。。

 

わたしの記憶が 合っているのならば

“ 裏切られる可能性があるからこそ

  信頼するのだ ” 

 という趣旨の文章だったのです…

 

筆者の名前や タイトルは

覚えていません

 

ただ 唯一

その逆説的な認識のしかた・表現が

若い脳みそに しっかり刻まれたのでした

 

おそらく わたしの若い感性は

そのカッコよさといいますか、

単純でない ややこしさというますか、

深く考えたくなるような内容に シビれていたのです

 

《 裏切られる可能性を ドン!と引き受けつつ

    それでも 人間を 信頼する、信頼するのだと覚悟を決める  》

 

それが 成熟した大人というものなのだろうか…

なんという 太っ腹な、 寛容な在り方なのであろうか・・

 

こうして書いているうちに

少し甦ってきたのは

その随筆は 日本の社会の戦争前後のことから

人間と 人間社会を信頼することについての

考察を 述べていたのでは なかったかしら。。

 

人間というもの、社会というものに対する、

自分の向き合い方を 明確にして

「 信頼をすると 決める 」という

人としての覚悟…

 

《 包容力、あるなぁ

    心が 広いなぁ

    仏さまのように 慈悲深いなぁ 》

 

憧れを 育んでくれた、

国語の教科書に 感謝いたします。。

 

きっと わたしは

それを 読んでから

信頼を寄せるとは そういうことだと

思ってきたような氣がします

 

なので

たとえば

「100パーセント信頼する 」という言い方を

どこかで耳にしたとしたら

その言葉に “ 居心地の悪さ ” を感じます

 

なんとなく

信頼する側の 勝手な思い込みや

過剰な期待を 押し付けているみたいに思うから

 

人間 は みんな

 “ ぼちぼち ” なのと ちゃいますやろか。。( ˘ω˘ )

 

にんげんだもの

時として 過ちもおこします

完ぺきなんて ございません

 

広い心で

人間と 人間のつくる社会に

信頼を 寄せていきたいのです。。

 

そして おそらく

この国の多くの人は 意識していなくても

広い心・慈悲の心を 持っているのではないでしょうか…

 

福祉や災害時などの ボランティアや 伝えられるエピソードで

素晴らしい人たちの たくさんいることに感動します

 

また

動物を飼うことや

子育てや 介護の経験とは

“ 寛容の心 ” を養う場で 日々奮闘すること

のように思います

 

「 ワンオペ育児 」という言葉も

あるそうですが  つらいことです。。

何らかのチームで できますよう願っています

奮闘中の皆さま、本当にえらいです!

 

息抜きしつつ  息長く  感情豊かに…

頑張りすぎることのありませんように。。

 

Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を