ご機嫌いかがですか
メイもんです
このあいだ
“ 信頼を寄せる ” と決めた事柄( 契約 ) が ありました
自分なりに 確かめ 総合的に判断し
直感も働かせつつ 決めました
そこで
なぜか 思い出したのが
現代国語の教科書で読んだ随筆の 内容。。
わたしの記憶が 合っているのならば
“ 裏切られる可能性があるからこそ
信頼するのだ ”
という趣旨の文章だったのです…
筆者の名前や タイトルは
覚えていません
ただ 唯一
その逆説的な認識のしかた・表現が
若い脳みそに しっかり刻まれたのでした
おそらく わたしの若い感性は
そのカッコよさといいますか、
単純でない ややこしさというますか、
深く考えたくなるような内容に シビれていたのです
《 裏切られる可能性を ドン!と引き受けつつ
それでも 人間を 信頼する、信頼するのだと覚悟を決める 》
それが 成熟した大人というものなのだろうか…
なんという 太っ腹な、 寛容な在り方なのであろうか・・
こうして書いているうちに
少し甦ってきたのは
その随筆は 日本の社会の戦争前後のことから
人間と 人間社会を信頼することについての
考察を 述べていたのでは なかったかしら。。
人間というもの、社会というものに対する、
自分の向き合い方を 明確にして
「 信頼をすると 決める 」という
人としての覚悟…
《 包容力、あるなぁ
心が 広いなぁ
仏さまのように 慈悲深いなぁ 》
憧れを 育んでくれた、
国語の教科書に 感謝いたします。。
きっと わたしは
それを 読んでから
信頼を寄せるとは そういうことだと
思ってきたような氣がします
なので
たとえば
「100パーセント信頼する 」という言い方を
どこかで耳にしたとしたら
その言葉に “ 居心地の悪さ ” を感じます
なんとなく
信頼する側の 勝手な思い込みや
過剰な期待を 押し付けているみたいに思うから
人間 は みんな
“ ぼちぼち ” なのと ちゃいますやろか。。( ˘ω˘ )
“ にんげんだもの ”
時として 過ちもおこします
完ぺきなんて ございません
広い心で
人間と 人間のつくる社会に
信頼を 寄せていきたいのです。。
そして おそらく
この国の多くの人は 意識していなくても
広い心・慈悲の心を 持っているのではないでしょうか…
福祉や災害時などの ボランティアや 伝えられるエピソードで
素晴らしい人たちの たくさんいることに感動します
また
動物を飼うことや
子育てや 介護の経験とは
“ 寛容の心 ” を養う場で 日々奮闘すること
のように思います
「 ワンオペ育児 」という言葉も
あるそうですが つらいことです。。
何らかのチームで できますよう願っています
奮闘中の皆さま、本当にえらいです!
息抜きしつつ 息長く 感情豊かに…
頑張りすぎることのありませんように。。
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を