うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

涙 の 本当の理由 。。( ポエム )

ご機嫌いかがですか

メイもんです

 

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子どものころ 泣き虫だった

思春期以降 そして大人になってからも

人前で 泣いてしまった記憶がいくつかある

 

産後や 更年期には

ホルモンバランスの乱れも重なり

涙が止まらなくなる症状も経験した

 

 普通のときにも

ドラマやノンフィクション、

学校での子どもたちの合唱や演奏で

心を揺さぶられ よく涙を流した 

 

加齢で 涙腺がゆるむと聞くけれど

元からの性質に加えて

余計にそうなっていたのかもしれない

 

ところが・・

はたと氣づいた

この頃は 涙腺、あまり ゆるんでいない…(・∀・)

 

二年半前くらいが、

“ 泣きやすい 自分“ の最後だったか。。

 

(  人生初のパートの仕事( 子育て広場 )の面接で

   話しながら 子育て時代の心情が甦ってしまい

   突然 “ 思い出し泣き ” したという 恥ずかしい事態を

   演じてしまったのでした・・

   この職場とはご縁がなく、おかげさまで 現職に就けました   (*^ω^*)  )

 

普通に もらい泣きくらいは ちょっとはあるけど、

それ以前と比べてたら その程度は軽い

 

今度は もしかして

老化で 涙( 水分 )が枯れてきたのかしら …⁉︎  (;ω;)

 

実際 そうかもしれないけれど

主観的に 感じていることがある

 

それは

“ 中高年 ” も板につき

無理のきかない年齢となったことで

自分の 心とからだに向き合う機会を与えられ

以前よりも 自分を大切にできるようになったから。。ということ…

 

…………………………………

 

思い返してみると

体力のある 働き盛りのころ

何かに反応して すぐ涙が出ていたとき

アタマで考えた目標に向け ひたむきに前進していたと思う

心とからだも 若さゆえに なんとか背伸びしてついてきてくれた

 

自分で自分のことを

分析し 評価するのは難しいが

たぶん わたしは「 負けず嫌いの頑張り屋 」 だった

だから 自分で選んだ道を 振り返ることなく進んでいった

 

社会に出るのは怖いと感じていたほどの

世間知らずで  内向的な性格の「 新卒 」は

職種が 苦手な分野 ( 販売サービス業 ) だと感じながらも

だからこそ、若いときに挑戦したらいいと考えた

ご縁があって 与えられた職場で 精一杯 働こうときめていた

 

28 で婚活して結婚し

両親や周りの応援を受けながら

「 共働き家庭で子育て 」という希望もかなえ

不規則勤務の立ち仕事を  続けることができたと思う

 

子育てを卒業してからも

仕事や声楽の趣味のおかげで

“ やることがあるから大丈夫 ” と平気のつもりだったけれど

やはり 「 泣きやすい 」 日々ではあった

 

そんな「 頑張り屋」も

卒業する時期に来ていたことに

なかなか氣づかない「 わたし 」は 心の地盤がもろかった

 

わたしの本心 ( 魂 ) が  少しの揺れでも

“ 本当のことを伝える大きなチャンスが来た ” と捉えて

《  望んでいないこの状況では 心もからだも辛いのです  》

と 訴えるように  涙を 流していたのではないか…

今になって そう思う

 

……………………………

 

必然と思われる 試行錯誤を経て

保育補助員として短時間のパートで働くようになり

一年半以上 が 過ぎた

 

心とからだの声に

耳を傾けながら 暮らせるようになったと思う

 

わたしの “ 本心  ” は 満たされて

やっと安心し 落ち着いてきたようだ

涙でもって 訴えてくる必要もなくなったのだろう

 

でも 中高年ですから

ドライアイにならないように

たまには 映画やドラマを観て泣きたいと思う… (*^_^*)

 

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Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を