うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

「 背中で見せる利他 」( 自分用のメモとして… )

ご機嫌いかがですか

メイもんです

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 「 背中で見せる利他 」という表現が  

『 ネットカルマ 」( 佐々木 閑 著   角川新書 ) の

第3章に ありました

 

引用します 

 このブッダの姿を見ていると、

『  自分が正しい生き方をする  』 ということそのものが、

  他者に対する大変な恩恵になるということが分かります。

 ことさらに「 人のために何かしてあげよう 」などと

 思わなくても、同じ苦境にある人にとって手本となるような

 生き方をすれば、それだけで多くの人を救うことになる。

 言ってみれば、『 背中で見せる利他 』です。 

 

ブッダ、カッコいいです。。

背中( 生き方 ) は 「 言葉 」 以上の 真実を語っていることでしょう

  

文の始めの “ このブッダの姿 ” は、前の段落の内容です

その部分も引用します

 

  ブッダの人生を見ていくと、彼が一生を通してやったことは、

  自分の力で「 生きる苦しみ 」を消すための道を発見し、

  それを他の、同じように苦しんでいる人たちのために

  説き広めた。それだけです。

 

それだけ、だったのですね・・

この続きの文章も 「 ❗️ 」と感じます

長くなるので いったん区切りました

 

   身を削って人に奉仕したとか、他人の苦労を我が身で引き受けた

   とか、走り回って他人の便宜を図ったとか、そんな行動は

   一切していません。「 自分はどういう生き方で真の安寧を

   手に入れたかを他者に示すこと 」、

   それだけがブッダのやったことであり、ブッダが創設した仏教

   という宗教の本質であり、そしてそれが2500年にわたって、

   何十万、何百万という人々を救ってきたのです。

 

くだけた言い方にすると

仏教の本質は “ 貴重な体験談 ” だった・・

(  個人の感想です  m(_ _)m  )

 

「 背中で見せる利他 」という表現にひかれたことから

上記の文章を記録しておきたいと思ったのですが

著者が訴えたかった内容は 第3章の最後の段落ですので

そこを はずしてはいけないですね。。

 

さらに 引用させていただきます

    老いることのつらさを本当に理解できるのは

    老いつつある人であり、病で苦しむ人のつらさを

    心底理解できるのは同じ病にかかった人であるなら、

    ネットカルマで苦しんでいる人の苦悩を真に理解し、

    正しい心の保ち方を教えてあげられるのは、

    ネットカルマで苦しんだ人に決まっています。

    苦しみの実体験こそが、真の幸福への階段になる

    ということを申し上げて、本章を終わります。

 

体験こそが 学びであり

幸福を見いだすきっかけとなる

 

そして 身をもってつかんだものだからこそ

その表現は 本物となり 訴える力をもつのでしょう・・

 

ここで  ふと

「 遊びをせむとや 生まれけむ 」という言葉と

そこから連想して ある話を思い出しました

 

“  宇宙のどこか、

    天国のようなところに住んでいた人間の魂は

    そこでの 何の不自由もない満ち足りた生活の

    退屈さに 耐えられなかった

  

   だから わたしたち人間の魂は

   さまざまな体験を通して

   苦しみ、喜び、悲しみ、悔しさ、うれしさなど

   いろいろな感情を味わいたくて

   この地球に遊びにきたのだ。。”

  

  なるほど、と思いました

 ( YouTubeで 偶然に聞いたものでした )

 

  壮大な意識をもって そう捉えると

  自分の人生が より愛しくなるような氣がしました

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Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を

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