ご機嫌いかがですか
メイもんです
「 背中で見せる利他 」という表現が
『 ネットカルマ 」( 佐々木 閑 著 角川新書 ) の
第3章に ありました
引用します
このブッダの姿を見ていると、
『 自分が正しい生き方をする 』 ということそのものが、
他者に対する大変な恩恵になるということが分かります。
ことさらに「 人のために何かしてあげよう 」などと
思わなくても、同じ苦境にある人にとって手本となるような
生き方をすれば、それだけで多くの人を救うことになる。
言ってみれば、『 背中で見せる利他 』です。
ブッダ、カッコいいです。。
背中( 生き方 ) は 「 言葉 」 以上の 真実を語っていることでしょう
文の始めの “ このブッダの姿 ” は、前の段落の内容です
その部分も引用します
ブッダの人生を見ていくと、彼が一生を通してやったことは、
自分の力で「 生きる苦しみ 」を消すための道を発見し、
それを他の、同じように苦しんでいる人たちのために
説き広めた。それだけです。
それだけ、だったのですね・・
この続きの文章も 「 ❗️ 」と感じます
長くなるので いったん区切りました
身を削って人に奉仕したとか、他人の苦労を我が身で引き受けた
とか、走り回って他人の便宜を図ったとか、そんな行動は
一切していません。「 自分はどういう生き方で真の安寧を
手に入れたかを他者に示すこと 」、
という宗教の本質であり、そしてそれが2500年にわたって、
何十万、何百万という人々を救ってきたのです。
くだけた言い方にすると
仏教の本質は “ 貴重な体験談 ” だった・・
( 個人の感想です m(_ _)m )
「 背中で見せる利他 」という表現にひかれたことから
上記の文章を記録しておきたいと思ったのですが
著者が訴えたかった内容は 第3章の最後の段落ですので
そこを はずしてはいけないですね。。
さらに 引用させていただきます
老いることのつらさを本当に理解できるのは
老いつつある人であり、病で苦しむ人のつらさを
心底理解できるのは同じ病にかかった人であるなら、
ネットカルマで苦しんでいる人の苦悩を真に理解し、
正しい心の保ち方を教えてあげられるのは、
ネットカルマで苦しんだ人に決まっています。
苦しみの実体験こそが、真の幸福への階段になる
ということを申し上げて、本章を終わります。
体験こそが 学びであり
幸福を見いだすきっかけとなる
そして 身をもってつかんだものだからこそ
その表現は 本物となり 訴える力をもつのでしょう・・
ここで ふと
「 遊びをせむとや 生まれけむ 」という言葉と
そこから連想して ある話を思い出しました
“ 宇宙のどこか、
天国のようなところに住んでいた人間の魂は
そこでの 何の不自由もない満ち足りた生活の
退屈さに 耐えられなかった
だから わたしたち人間の魂は
さまざまな体験を通して
苦しみ、喜び、悲しみ、悔しさ、うれしさなど
いろいろな感情を味わいたくて
この地球に遊びにきたのだ。。”
なるほど、と思いました
( YouTubeで 偶然に聞いたものでした )
壮大な意識をもって そう捉えると
自分の人生が より愛しくなるような氣がしました
Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を