うたと からだと わたし

キャリアチェンジして7年目。還暦越えました!▪ 保育補助員の日記です。

不思議な感覚。。

ご機嫌いかがですか

メイもんです

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◇◆◇◆◇

 

萬吉さん( ひいお爺さん ) のお話を

過去4回にわたって 記事にしてまいりました

 

今回が いよいよ最後です (*^^*)

そして、ちょっと変わった内容かもしれません。。

 

と言いますのは

わたしが東京の “ 浅草” に行ったときに

胸がザワザワして忘れがたい気持ちになったという事実と

 

大正12年の関東大震災

萬吉さん一家の住んでいた家が燃えて無くなった事実が

もしかすると関係があるのかも..という、わたしの妄想なので。。

 

*****

幼いころの わたしについて

「 あんたは 休日に家族で出かけると

 すぐに“ 家に帰りたい ” と言う子だった。。」

 

長じてから母に聞かされ

“ たしかに、そうだったな” と思い返したものです

 

それは三姉妹のうちの

( 真ん中の ) わたしだけの特徴でした

 

出かけた場所の環境が

わたしを取り囲むときに、怖さのような

寂しいような気持ちになったことを 今も覚えています

 

成長とともに

その感覚も薄れていったようなのですが

 

大人になってからも

行ったときに 何かを強く感じたのが ” 浅草 “ でした

 

子どものときに法事で初めて行き

その後は20代、30代で一回ずつ行ったと思います

 

そのときに、胸がザワザワして

” 浅草にいると落ち着かない、なんか変。。“

と感じてしまい、その感覚の記憶が残っているのです

 

そして、

半世紀以上経って

やっと認識できたことには、

 

およそ50年前に 浅草で行われた法事は、

曽祖父・曽祖母の萬吉さんとみよさんのためのもので、

 

そのお墓は

浅草にあったのでした・・

 

*****

東京の西側の

郊外で生まれ育ったわたしには

 

浅草という東京の東側の古い街は

縁遠くて関係のない場所と思っていたけれど

 

実は 三代前には

ご縁があった場所と

今更にして知りました。。

 

田舎から単身上京し 宮仕えの職を得てから

妻と子を呼び寄せ、共に暮らせるようになって数年後に

関東大震災の火災によって 浅草の家を焼かれ失った、ひいお爺さん。。

( 不幸中の幸いなことに、家族は全員無事でした )

 

その後、浅草から西南の方角にある、

10数キロ先の都内の地に 住居を構え移り住みました

 

そこが、後に わたしの叔父さんや母たちと

三世代で同居した、母の実家のある土地でした

 

*****

 

叔父さんの遺してくれた文章のおかげで

母自身の記憶の思い違いしていた部分も訂正され、

 

わたしの不思議な感覚についても

腑に落ちるような気持ちとなりました

 

天国の叔父さん、

本当にありがとうございます。。

 

◇◆◇◆◇

 

ネットの記事で読んだ、

作家 曽野綾子さん( 90 ) の文章が心に響きました

人間は長い歴史の中で、

たまたま自分が生まれ合わせた時代の、

たまたまそこに居合わせた場所で、

最善を尽くして生きればいいだけなのです。

それ以上、小さな一人の人間に何ができるでしょうか。

 

meymon.hatenablog.com

 

ふと思い出し

過去のブログを読み返したので

記念(?) に 3つほど貼らせていただきます m(_ _)m

meymon.hatenablog.com

 

 

meymon.hatenablog.com

 

ご覧いただき

誠にありがとうございました m(_ _)m

 

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Have a nice day !

どうぞ すてきな一日を