ご機嫌いかがですか
メイもんです
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萬吉さん( ひいお爺さん ) のお話を
過去4回にわたって 記事にしてまいりました
今回が いよいよ最後です (*^^*)
そして、ちょっと変わった内容かもしれません。。
と言いますのは
わたしが東京の “ 浅草” に行ったときに
胸がザワザワして忘れがたい気持ちになったという事実と
大正12年の関東大震災で
萬吉さん一家の住んでいた家が燃えて無くなった事実が
もしかすると関係があるのかも..という、わたしの妄想なので。。
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幼いころの わたしについて
「 あんたは 休日に家族で出かけると
すぐに“ 家に帰りたい ” と言う子だった。。」
長じてから母に聞かされ
“ たしかに、そうだったな” と思い返したものです
それは三姉妹のうちの
( 真ん中の ) わたしだけの特徴でした
出かけた場所の環境が
わたしを取り囲むときに、怖さのような
寂しいような気持ちになったことを 今も覚えています
成長とともに
その感覚も薄れていったようなのですが
大人になってからも
行ったときに 何かを強く感じたのが ” 浅草 “ でした
子どものときに法事で初めて行き
その後は20代、30代で一回ずつ行ったと思います
そのときに、胸がザワザワして
” 浅草にいると落ち着かない、なんか変。。“
と感じてしまい、その感覚の記憶が残っているのです
そして、
半世紀以上経って
やっと認識できたことには、
およそ50年前に 浅草で行われた法事は、
曽祖父・曽祖母の萬吉さんとみよさんのためのもので、
そのお墓は
浅草にあったのでした・・
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東京の西側の
郊外で生まれ育ったわたしには
浅草という東京の東側の古い街は
縁遠くて関係のない場所と思っていたけれど
実は 三代前には
ご縁があった場所と
今更にして知りました。。
田舎から単身上京し 宮仕えの職を得てから
妻と子を呼び寄せ、共に暮らせるようになって数年後に
関東大震災の火災によって 浅草の家を焼かれ失った、ひいお爺さん。。
( 不幸中の幸いなことに、家族は全員無事でした )
その後、浅草から西南の方角にある、
10数キロ先の都内の地に 住居を構え移り住みました
そこが、後に わたしの叔父さんや母たちと
三世代で同居した、母の実家のある土地でした
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叔父さんの遺してくれた文章のおかげで
母自身の記憶の思い違いしていた部分も訂正され、
わたしの不思議な感覚についても
腑に落ちるような気持ちとなりました
天国の叔父さん、
本当にありがとうございます。。
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ネットの記事で読んだ、
作家 曽野綾子さん( 90 ) の文章が心に響きました
人間は長い歴史の中で、
たまたま自分が生まれ合わせた時代の、
たまたまそこに居合わせた場所で、
最善を尽くして生きればいいだけなのです。
それ以上、小さな一人の人間に何ができるでしょうか。
ふと思い出し
過去のブログを読み返したので
記念(?) に 3つほど貼らせていただきます m(_ _)m
ご覧いただき
誠にありがとうございました m(_ _)m
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Have a nice day !
どうぞ すてきな一日を